日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

ヒト・マウスにおける放射線発がんの多段階性の数理モデルによる比較

論文標題 Human-mouse comparison of the multistage nature of radiation carcinogenesis in a mathematical model
著者 Imaoka T, Tanaka S, Tomita M, Doi K, Sasatani M, Suzuki K, Yamada Y, Kakinuma S, Kai M
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
Int J Cancer, 155(6): 1101-1111, 2024
キーワード 数理モデル , がん死亡率 , ヒト・マウス間の差異 , がんリスク推定

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【背景】
マウスにおけるモデル実験は、電離放射線を含む環境発がん物質のリスク評価において不可欠であり、疫学的証拠が不十分な場合に特に重要である。しかし、マウスとヒトの間には種差が存在することから、マウス実験から得られる結果(e.g. 線量効果関係)をヒト影響へと外挿することには大きな不確実性が存在する。
本研究ではマウスから得られた実験データとヒト疫学を定量的に結びつけるために、現象の生物学的機序に基づいた数理モデルによる解析を用いる。本研究ではArmitage-Dollの多段階発がんモデルを数式化し、このモデルを用いてヒトとマウス双方のデータを解析・比較した。

【材料と方法】
解析に用いたデータはヒトとマウスのものである。ヒトデータは原爆生存者に対する疫学調査(LSS)第14報のものである。マウスデータは放射線医学総合研究所(NIRS)で行われた急性照射実験、および日本の環境科学技術研究所(IES)で行われた低線量連続照射実験から得られたものである。
解析に用いた数理モデルは、発がんの生物学的機序として「細胞のがん化は正常細胞集団内において、細胞にドライバー変異が蓄積することにより発生する」ことを仮定している(Armitage-Dollの多段階発がん)。ドライバー変異が蓄積する過程において、変異数の単位時間当たりの遷移率 (=ドライバー変異がi個溜まった細胞が、i+1個溜まった状態に遷移する単位時間当たりの率)はμで一定とする。言い換えると、各過程における単位時間当たりの変異率はμで一定である。
放射線による影響は「単位時間当たりの遷移率の上昇」という形で取り入れ、上記議論した遷移率μを自然発生的な(spontaneous)遷移率μ0と放射線誘発遷移率μRに分ける(i.e. μ=μ0+μR)。μRについては線量率および被ばく時年齢の依存性を取り入れている。

【主な結果】
この数理モデルは、放射線による発がんの影響に対して次の解釈を与えることができる:「放射線による変異の蓄積は、自然突然変異プロセスが同量の変異蓄積を発生させるのに必要な時間分だけ、加齢関連のがんリスクを時間的に前倒しさせることである」。つまり、放射線による発がん影響は「タイムシフト」として表すことができる(e.g. 放射線変異により自然突然変異10年分の変異が蓄積したため、がんリスクも10年分前にシフトする)。
本数理モデルによるヒトとマウスデータの解析は、放射線によるがん死亡の早期化(タイムシフト)に関して線形の線量反応を示唆した。ヒト・マウス間の影響を比較するため、解析から得られた数値を種特異的な寿命 (ヒトで84年、マウスで2.36年) で標準化(standardize)した。まず線量あたりの効果(タイムシフト)は、被ばく時年齢が上がるにつれてヒトとマウスで同様に減少した(寿命の10分の1に相当する期間ごとにそれぞれ0.72倍および0.71倍)。線量あたりのタイムシフトはヒトの方が2桁大きい(生涯の約35%の時点で被ばくした場合、ヒトで7.8年/Gy、マウスで0.046年/Gy)。
ここで、これまで報告されているデータから1 Gyのγ線またはX線照射による誘発変異数が、HPRT1(ヒト)およびHprt1(マウス)において同程度であることが報告されている。対照的に、近年の単一細胞全ゲノム/エクソームシーケンス研究から、ヒトおよびマウスにおける体細胞突然変異の蓄積率の推定値には2桁(two orders of magnitude)近くの種差があることが示唆されている。これらのことから、本研究から導かれた上記線量当たりのタイムシフトはヒト・マウス間で2桁異なる自然発生的な(=放射線によらない)体細胞変異率と、ヒト・マウス間で一貫した(consistent)放射線誘発変異率により説明できる。

【考察・まとめ】
本研究は放射線における、作用機序の単純さ、物理的な測定可能性、そして関連する実験的および疫学的ながん死亡率データが利用可能であることを活用し、放射線によるがんリスクにおけるヒトとマウスの定量的な差の根底にあるメカニズムを解明した。多段階発がんの観点から放射線被ばくの影響を、自然突然変異プロセスが同量の変異を蓄積させる分の時間だけ「タイムシフト」させるものであることを示した。これは、ヒトおよびマウスで報告されている放射線発がんシフトに関する理論的基礎を提供する。本研究で行われたヒトとマウスの比較解析は、このシフトの線量反応が(1)線形の線量反応を示し、(2)種固有の寿命に対して一貫した被ばく時年齢依存性を持ち、(3)効果の大きさが種特異的な体細胞突然変異率と一致することを示している。多段階発がんの観点から、急性被ばく後のERR線量反応は、線量の(n-1)次の多項式として理解される。したがって、種特異的な自然突然変異率および種によらない放射線誘発変異率が、多段階発がんにおける種差を定量的に決定し、さらには疫学における従来のリスク指標であるERRの種差の根底にある。この新しい考え方は、実験動物モデルで特定された物質のがんリスクをヒトのものに外挿するための方法論的基盤の構築へと繋がることが期待される。