日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

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沿革

放射線影響研究の始まり

1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下された。9月、学術研究会議(日本学術会議の前身)は、「原子爆弾災害調査特別委員会」を設置し、総力的な調査研究を開始した。その成果は、米国の意向により直ちに発表することはできなかったが、ようやく1953年に「原子爆弾災害調査報告集」(3部構成)として刊行された。  日本の放射線影響研究を大きく進展させる契機となったのは、1954年3月1日にマーシャル群島ビキニ環礁で生じた日本漁船乗員の水爆被災事件であった。米国の水爆実験によって生じた放射性降下物により、マグロ漁船第五福龍丸乗員23名が被ばくし、急性放射線症を発症する事態となった。これを契機に日本学術会議は、基礎班、医学班、生物班、水産班、及び地球物理班からなる専門家約80名の「放射線影響調査特別委員会」(委員長=都築正男・日赤中央病院長)を新設し、総合的な放射線影響研究の推進を開始した。これに呼応して、1954年度追加予算として、文部省科学研究費の特別枠「放射線特別研究」が設けられた。この研究費はその後10年間継続し、日本の放射線影響研究の進展、並びに研究者の裾野拡大に大きな役割を果たした。

日本放射線影響学会の設立

放射線影響研究の進展に伴い、これまで比較的関係の薄かった専門分野の研究者が相互の関係を密にしなければ、放射線による人体や環境への影響問題を解決することはできないとの認識が深まってきた。この観点から、有志10数名が集まって協議を始め、放射線影響研究を目的とする学会創設のための準備が進められた。このような経緯を経て、1959年7月2日、東京大学医学部講堂で創立総会が行われ、日本放射線影響学会が設立された。初代会長には都築正男博士が選ばれた。さらに、同年10月27日〜29日の3日間、第1回研究発表会が東京大学農学部で開催され、86題の発表が行われた。また、学会誌として、Journal of Radiation Researchが1960年6月に発行されるに至った。

設立から今日まで

日本放射線影響学会は、設立当初からの目的であった異なる専門分野の研究者による相互の情報交換の場として、今日まで変わらずその機能を果たしている。本学会設立20年後の1979年には、本学会会員が中心となって、第6回国際放射線研究会議(6th ICRR)を東京で開催した。2015年には、第15回同会議(ICRR2015)を京都で開催し、この招致と運営にも大きく貢献した。

参考文献

  • 三宅泰雄「死の灰と闘う科学者」(岩波新書、1972年)
  • 日本放射線影響学会編「日本放射線影響学会30周年記念文集」(1989年)

文責:児玉 靖司