日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

放射線感受性の個人差解明への新たな一歩:放射線照射によるヒト遺伝子発現変化の遺伝学的解析

論文標題 Genetic analysis of radiation-induced changes in human gene expression
著者 Smirnov DA, Morley M, Shin E, Spielman RS, Cheung VG.
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
Nature, 459, 587-591, 2009
キーワード 放射線 , 遺伝子発現 , SNP , シス制御 , トランス制御

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 細胞は、放射線によって誘導される損傷に対応するために、遺伝子発現の変化に依存する複雑な応答機構を持つ。古くから、放射線感受性に個人差があることが知られているが、この個体間の差異は、放射線によって誘導される遺伝子発現レベルの個体差が原因と考えられる。この論文では、放射線によって誘導される遺伝子発現の変化を定量的に解析から、これらの遺伝子発現を調節している制御因子群が同定された。その中には、これまでに機能の知られていなかった遺伝子も含まれている。これらの知見およびアプローチは、ヒト細胞の放射線応答に関する基礎研究の立場からだけではなく、個体の放射線感受性を予測し、放射線治療の効果の改善に役立てるなど、臨床的にも重要である。
 著者らは、137Cs線源を用い、15家族(CEPH家族血統、ユタ州の複数世代のコーカソイド由来)の不死化B細胞をガンマ線で10 Gy照射し、照射2時間後および6時間後の遺伝子発現プロファイルをマイクロアレイによって測定した。その結果、アレイに搭載された10,174遺伝子中、3,280遺伝子が放射線照射後に1.5倍以上の増加または減少を示した。また、放射線照射による遺伝子発現変化のパターンには、著しい個人差が見られた。放射線に対して応答する遺伝子の、誘導あるいは抑制の程度は放射線感受性と関係すると考えられる。実際、JUNについて、放射線照射後の発現増加が小さい人の細胞は生存率が高く、細胞死が少ない傾向が見られた。このようにJUNや他の遺伝子について、放射線応答の個体差に関わる遺伝子発現の制御因子の特定が試みた。具体的には、照射後2および6時間後の発現変化を「表現型」と捉えて、「遺伝子型」、ここでは4,600個のSNP(一塩基多型)との対応を調べた。
 照射により有意に遺伝子発現が変化した3,280の遺伝子の中で、照射2時間後では1,275個(39%)、照射6時間後では1,298個(40%)の遺伝子がいずれかのSNPと強い相関を示した。表現型が連鎖していることが分かった。この中には、細胞周期やアポトーシスの制御によって放射線応答に関与するFAM57AとGADD45Bが含まれている。
 遺伝子の発現変化とSNPの型の相関には二通りある。一つは、発現変化を示した遺伝子の位置あるいは近傍(5Mb以内)に相関するSNPがある場合、もう一つは、発現変化を示した遺伝子から離れた位置あるいは別の染色体に相関するSNPがある場合である。前者を「シス制御」と呼び、遺伝子の上流または下流に存在するシスエレメントによって遺伝子が制御される可能性が考えられる。後者を「トランス制御」と呼び、例えば、相関するSNP近傍の遺伝子によってコードされる転写因子が発現変化を示した遺伝子のシスエレメントの塩基配列を認識して結合して遺伝子の転写を調節する場合などが考えられる(ただし、後から述べるように、トランス制御に関わる因子は転写因子ばかりではない)。驚くべきことに、放射線照射後の遺伝子発現変化はほとんどがトランス制御であり、シス制御は1%に満たなかった。一方、ベースレベル(すなわち非照射細胞)の遺伝子発現に関してはシス制御が少なくとも20%であった。
 また、照射2時間後に4つの、照射6時間後に2つのホットスポット、すなわち、複数の制御因子を含むと考えられる染色体領域が見つかった。例えば、第2染色体上のホットスポット(35-40Mb)は19個の遺伝子発現に関係しているが、その19個の中にはRASファミリータンパク質をエンコードする3つの遺伝子(RASL11B, RAP1GDS1, RASA1)が含まれており、機能が似ている遺伝子が共通の発現制御を受けている場合があることが示唆された。トランス制御は、複数の遺伝子の発現に関与し、それらが協調して働くことを可能にするため、シス制御と比してより広範囲のストレスに対する遺伝子発現に影響を与えると考えられる。
 非照射と比して遺伝子発現が2倍以上変動した346例(うちシス制御と推測されるものが6例、トランス制御と見られるものが340例)を抽出し、さらに詳細な連鎖解析を進めた。シス制御と見られた6例のうち、5例(照射2時間後のNDUT15, PMAIP1, PTGER4と照射6時間後のCP110, PHLDA3)が5kb以内のSNPと連鎖しており、真にシス制御であることが明らかとなった。このうち、CP110は中心体の複製に関係するタンパク質をエンコードしている。CP110が機能しない場合、不定期中心体複製(S期以外の時期に中心体複製が起こること)、放射線照射後の染色体不安定性などにより細胞死が誘導される。このCP110にはエクソン内にSNP(rs179050; TまたはC)が存在する。このSNPをヘテロに持つ12例について、PCRによる発現定量解析を行った結果、T型の方がC型に比べて放射線照射後の発現増加が大きかった。このことから、CP110の放射線による誘導が、シス制御されていることの更なる確証が得られた。
 一方、残りの340例は、トランス制御であり、そのうちの一つとして、一番染色体上にアポトーシスの制御に関わるBAXとの有意な連鎖を見出した。この領域には、BAX19の既知の転写調節因子であるTP53BP2が含まれおり、この手法がトランス制御因子の特定に有用であることが示された。
 しかし、その他の例では、制御因子の有力候補を見出すのは容易ではなかった。そこで、文献検索および連鎖解析を行い、13個の発現変化遺伝子について14個の制御因子候補まで絞り込んだ。これらの制御因子候補をsiRNAによってノックダウンして、照射された細胞における標的遺伝子の発現レベルを評価した。14個の候補遺伝子のうち、11個のノックダウンに成功し、最終的にJUN、TNFSF9、TRAF4、ARHGDIA、FASの制御因子として、それぞれ、LCP2(別名SLP-76)、CD44、FAS、SERPINE2、SSBを見出した。このうち、FASは放射線照射された細胞におけるシグナルトランスダクションに関与することが知られていたが、他の因子が放射線に対する細胞応答を制御することは知られていなかった。
 更に、30人の細胞(15組のCEPHファミリーの両親由来の不死化B細胞)を放射線照射し、細胞毒性、Caspase活性を指標とした細胞死と制御因子群の上流および下流5kb以内でのSNPとの関係についても検討した。その結果、19個の制御因子のうち、5個(PHLDA、LCP2、LTA4H、NDUFB6、VDR)のSNPについて細胞毒性、Caspase活性との相関が見られ、これらの制御因子が細胞の放射線応答に影響を与えることが明らかとなった。

本研究は、遺伝子発現変化を表現型と捉えた遺伝学的解析により、細胞放射線応答に関わる制御因子を多数明らかにした。その中には、転写因子(RB1, HIBEP2, VDR)だけではなく、細胞表面レセプターのCD44や機能未知のDYNC2LI1やUBA52なども含まれていた。未知のヒト遺伝子の機能を解明する上でもこのアプローチは有用である。また、本研究で得られた知見は、個人の放射線感受性を予測や新しい放射線増感剤開発にもつながることが期待される。